エネルギー

 


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ちょっとのんびりしてました。でもよくよく考えたら、12月入ったら新しい仕事が始まって、新しい出逢い、新しい学びでてんやわんやするはずなので、過去のこととか振り返ってる場合じゃなくなります。振り返るなら、今のうちでした。そう、あと7日・・・!

 

 

急げ急げ。

 

 

これまでの人生を文字に起こし始めたのですが、なかなか長々して時間がかかりそうだったので、今回は、前回の記事で書いた「エネルギーの争奪戦」について書こうと思います。

 

 

 

haruka-ruka.hatenablog.jp

 

 

 

なにが変わったかというと、本当にたくさんあるのですが......。私にとっていちばん嬉しい象徴的なものは、「奪おうとする存在」から「与える存在」である瞬間が増えたこと。
自分で「与える存在」だなんておこがましいですが...意識が「与える」というか「溢れる」という感覚に変わったあと、起こる出来事が以前と全く違うので、ちょっとその前提で話を進めたいなと思うのです。
いちばんは、人との会話が変わりました。
行く先々で、人のあたたかさに触れたり、気にかけられたりするようになりました。
私にとってのキーワードは「エネルギーの争奪戦」だったなと思っていて、これは長くなりそうなのでまた今度。忘備録としても、これからの私の成長のためにも大事なことだと思うので書きたいです。

 

 

 

この部分に返信していこうと思います。

 

 

エネルギーの争奪戦は、私が勝手にそう呼んでいるのですが、コントロールドラマのことです。心理学用語だそうですが、「聖なる予言」という小説で初めて知りました。コントロールドラマは、自分自身がエネルギー・愛に満ちていない人が、相手からエネルギーを奪って自分に蓄えるため、「脅迫者」「被害者」「尋問者」「傍観者」のどれかを演じること、と認識しています。そしてそれは往々にして家庭環境内で築かれた後、人間関係全体に当てはめていくようになるのだそうです。これは有名なお話なのでしょうか?私は今年知りました。

 

 

とにかく、自分が満たされたいない状態なので、外からのエネルギーを必要としてしまい、相手よりも上に立つことで、同情を引くことで、ミステリアスな雰囲気を出して翻弄させることで、などなどいろんな方法で相手のエネルギーを自分に注がせたり奪おうとしたりすることを、コントロールドラマと言うそうです。コントロールドラマという言葉にちょっと馴染めなかったので、「エネルギーの争奪戦」と言い換えていたのでした。

 

 

私は、脅迫者以外の「被害者」「尋問者」「傍観者」のいずれもをやっていました。これは気付くのに本当に時間がかかりました。一番はっきりとトドメのように自覚したのは、水道の修理に来てくれたお兄さんとコミュニケーションをとっている時でした。今年の夏とか、まだほんの最近です。

 

 

会話しながら私は、自分の、小さくてか細い声、人生苦労していそうな口調、相手にビクビクすることで自分は小さなことも気にかけて生きていてとても大変なんだというような態度、そういう全部が、エネルギーを奪うための策略だったということを、その水道の兄ちゃんと話しながら、妙にはっきり自覚しました。

 

 

今まで、自分の特徴だと思っていたものが実は全部、エネルギーを奪うために演じていたものだったのです。どの策略に当てはまるのかは分かりませんが、全体的に、同情を引こうとする方向だったのは確かです。

 

 

でも、気づいてしまえば、それを直すのは比較的簡単でした。シンプルに、同情を引こうとしていた自分のカッコ悪さに気づいて、それをやめるように意識し続けました。そして、奪うのではなく、自分からエネルギーを発することにも集中しました。相手が友人でも、家族でも、店員さんでも。そうしたらいつの間にか、同情を引こうという感覚は消えていってくれました。

 

 

だけどまだまだ、争奪戦をやってしまうことは多々あります。感情が揺らいだり、極度の緊張におかれたときに、コントロールドラマは現れやすいらしいです。相手から奪おうとする必要もなくなるぐらい、満ちる、溢れる、与えるようになろうと思います。「ほらほら、持ってけ持ってけ」って余裕で言える未来の私。......今のところ想像できないので、無理やり想像するところから始めてみます。


 



 

「エネルギーの争奪戦」という視点で人と関わると、たとえ嫌な思いをしても、必要以上に傷つかなくていいということも分かるようになりました。今までは必要以上に、真面目にしっかり傷ついていました。でも、なんだか威圧された時、見下された時、急かされた時、そういう嫌な感覚が少しでもしたときは全部、相手が私のエネルギーを奪って満たされようとしているんだ、と理解すると、その争奪戦に巻き込まれないようにすれば良いんだと冷静に考えられるようになりました。

 

 

ちょうどこの前、数日間「強烈に見下される感覚のする人」と一緒にいなければならなかったので、実践してきました。最初は腹も立ったしそれも通り越して呆然としていたものの、「見下されても受け入れない」ということを実験してみました。見下されて「悲しい」気持ちになってしまっては、相手の戦略にはまってエネルギーを奪われてしまいます。なので、毅然と接する、もしくは目を合わせたりせず相手にしないという方針で、様子をみていました。そんなことをするのは初めてだったので、内心ドキドキでした。そうしたら、ある時急に、こちらを見下して接することをやめてくれたのです!

 

 

 

これには驚きでした。


 

 

争奪戦から抜け出すことができると、今度は「与える」とか「溢れる」という方に意識を向ける余裕ができます。

 

 

 

私は、ひとり遊び・空想が好きなタイプなので、無理に話しかけることをやめてしまうと、時と場合によっては、本当にいつまでもしゃべらずにいられてしまいます。でも、人と関わりを断ちたいわけではない。静かにしているのが好きだけど、相手をシャットダウンしたいわけではない。

 

 

なので、喋りはしないけれど、黙っているけれど、「相手への愛を溢れさせながら存在する」ということを試してみました。

 

 

こんなことを試すのも初めてで、ドキドキでした。話したいことがあるわけじゃないのに無理して話して空回りするのがいつもの私だったから。こんなに沈黙を続けて大丈夫なものかと心配しながらも、徹底的に自分ワールドに入りつつも全身から愛を発する、ということをやってみました。

 

 

そしたら、最終的に、すごくモテた。

 


これにもびっくりでした。


 

このことから激しく学んだのは、人は、言葉じゃない部分で多くを感じているんだということ。どんなに沈黙していたって、自分の中の愛を溢れさせて存在していると、それは伝わるんだということを肌で実感して感動しました。

 

 

 

 

 

もうちょっと上手くまとめたかったですが、時間が迫っているのでこの話題はこれにて完了としたいと思います。

 

 

 

 ちなみに12月に、駅にある路上ピアノで、路上ライブをやらせてもらうことになりました。私は歌担当です。きゃー!!そこでも、「エネルギー」についてものすごく考えています。駅なんて、知らない人だらけの場所で歌うのは初めて。正確には去年一度やったけれど、場所がまずくて最後までできなかった。それはさておき、プライベートな集まりに比べて、公の場所ではより「圧倒的に自分の中から溢れ出すエネルギー」を以って、挑戦しなければならないと思いました。広い広い空間なので、エネルギーの種類が良いだけではなくて、その強さや、空間の奥行き、飛距離とかまでも意識を拡大したいと思うのです。明日が、初めての練習日。新たな挑戦になります。がんばります。





 

  

豆を煮ながら。



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金時豆を、3時間、コトコトコトコト煮詰めることにしたので、お世話しながら書いています。


いまは20時ごろ。


栄養失調と書いてから、たくさんの人が心配をしてくれた。心配というか、みんな笑ってくれていたけれど。(10月にした血液検査で、栄養失調が発覚してたのでした。)もう、大丈夫になりました。本当にありがとう。


再検査をしたわけじゃないけど、明らかに、元気になりました。


底抜けの空っぽだった身体に、土台となる地面ができた感じがします。


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治療的にやっていることは、毎日大豆プロテインを飲むことと、滋養強壮&精神安定の漢方を飲むこと。


料理の継続が苦手なのと、一度にあまりたくさん食べれないのとで、食べ物だけで主治医に言われた必要なタンパク質を摂りきるのは相当困難でした。次から次へと食事に追われる感じで。正直なところ食費も足りなかった。


(私の体格で、1日45gのタンパク質。木綿豆腐三丁分。納豆8パック分。)


そこでたどり着いたのが、プロテインで必要なタンパク質を確保しつつ、あとは無理せず食べる、というスタイル。


ちなみに大豆プロテイン美味い。めっちゃうまい。


牛乳からできたホエイプロテインよりもかなり安価(1ヶ月2000円ぐらい)だったことと、牛乳が身体に合わない気がしていたので、大豆だけでできたソイプロテインを試しています。モリンガ(抹茶みたいな味)と、お塩ひとつまみを混ぜて水で溶かすと、わざわざ飲みたいほど美味です。



今日聞いた話では、ある心療科の先生の治療の経過の共通点として、タンパク質と鉄をしっかり補給するようにすると、みんな元気になっていくんだとか。


タンパク質と鉄は、生理痛の治療としても必須だと先生から口酸っぱく言われているので、引き続きがんばります。


久しぶりに会ってあんまりにも元気に変身した私を見ても、驚かないでね。🌷



✴︎



私の人生全体がなにか語っているとしたら、「人は変われる」という言葉になるような気がします。


私自身が、人生からそう言われているような気がします。


どうしてこんなに遠回りをしているのだろう、若い頃から活躍しているひともいるのにどうして私はそうできなかったのだろう、と嘆いていたけれど、その答えがそこにあるような気が、この頃するのです。


自分が「変われる」ということを、とてもじゃないけど想像もできなかった。人と話すとき一触即発の極度の緊張を持ち続ける自分、卑屈で楽しくない自分、そもそもで自分のなにがおかしくてこんなに上手くいかないのかわからない自分。主にそういう、性格、生き様、人となりの部分で、とてもこのままじゃ生きていかれないと思いつつも、変われるのかと考えると、本当に絶望的に思えました。


それが、紆余曲折を経ていま、変わった。


そのことを、いちばんに伝えたい相手は、幼き頃の自分です。


岐阜のとある町。夏はごうごうユラユラと大地を焦がす太陽の音が聴こえ、冬は肌を刺すような痛い寒さに包まれる、愛しい町。の、山を登ったところにある静かな実家。そこの2階の自室で、小学生のころから毎日日記を書いていました。


その机に向かって、何度も行き詰まって絶望に突き当たり、命を終えることを考えました。母が愛情とともに「私より先に死ぬことだけは絶対に許さないよ」と言ってくれた言葉だけを頼みの綱に現世に踏みとどまった、あの頃の私に。「大丈夫だよ」って言いたい。大丈夫だったよ。


ううん、たぶん.....あの時たしか、聞こえていた。


未来の私の声は、聞こえていた。


時空は、同時にいくつも存在するという感じがします。いまこの瞬間、過去の自分も生きているし、未来の自分も生きている。だからこそきっと、2021年11月23日の今日、「大丈夫だよ」と念じた言葉を、岐阜にいる10代の私がいま、聞いているのだと思います。




豆が、いい感じに煮詰まってきました。


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なにが変わったかというと、本当にたくさんあるのですが......。私にとっていちばん嬉しい象徴的なものは、「奪おうとする存在」から「与える存在」である瞬間が増えたこと。


自分で「与える存在」だなんておこがましいですが...意識が「与える」というか「溢れる」という感覚に変わったあと、起こる出来事が以前と全く違うので、ちょっとその前提で話を進めたいなと思うのです。


いちばんは、人との会話が変わりました。


行く先々で、人のあたたかさに触れたり、気にかけられたりするようになりました。


私にとってのキーワードは「エネルギーの争奪戦」だったなと思っていて、これは長くなりそうなのでまた今度。忘備録としても、これからの私の成長のためにも大事なことだと思うので書きたいです。


✴︎


私の人生全体が、「人は変わる」ということを言っているとしたら、これまでの人生を言葉にして残したいという気持ちが沸き起こっています。


10月あたりまでの人生と、10月以降の人生がまるっきり違うのを感じているので、忘れないうちに、と思うのです。


でも今日は、眠たいので、また次回もしくは別の場所で、残していきたいと思います。





P.S.お豆がめちゃくちゃ美味しく炊けました。


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炊きすぎたので、お豆ファンの方、よかったら横浜のシェアハウスまでお越しください。と言いつつ、私自身がお豆大ファンなので、急がないとすぐなくなっちゃいますのでご注意を!☆彡



3時間かかるけど、これは美味しい!3時間かかるけど、その甲斐あった!時間をかけるって、最高ですね。豆、ばんざい!!



m32.bjmpf@gmail.com
各務春花





生かす?






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前回の記事で「動画撮る」って思い立って撮った動画。おそらく少し経ったら消してしまう予感。

https://youtu.be/-2pJHmgmcUA






波動を高めたい。

つまり、これでいいんだ、って深く思いたい。
レディーガガを見ていてそう思った。



わがままを突き通すように
これが自分だって言い張る形じゃなくて、
褒められたもんじゃないことを分かっていながらも
変えられるものじゃなかったよなと、
変えようとして変えられるものじゃなかったよなと、
そろそろ自分を諦めて、
自分であることに深く安心したい



結果を出す為にガツガツ頑張れない自分
もう変わらない


もう、「なにか形にしないと」って
思うのはやめてください。
私のために。


どんなにそう責め立てたって、
変わらないんだから。


そもそも、なにかを得るために
生きているわけじゃないでしょう?


なにか形をつくるために
頑張ることができなくて
結果なにも形になっていなくて
人前で胸を張れるなにかがなくっても、
もう責めないで。


私は、やらない人なんじゃないよ。
本当にやりたいことが見つかれば、
鬼のように燃えて動く人だよ。
夏の舞台で、よくわかったこと、でしょう?
衝動にまかせてさえいれば、
あんなに動くんだって。


やらないでいる私を、
もう責めないでよ。
もーーーね。やりませんよ。私は。
やりません。
あなた(私)がどんなに急かそうったって、
やりません。
動きません。
諦めてください。
私を急かすこと。


やるときゃ、貴方の期待を遥かに越えて、
やるんだから。
あんまりこれ以上急かすんなら、
いつまで経ったってやらないから。


できないことをやれって言うのは、
本来の可能性を潰してることなんだから。


どうか、信じて待っててくれませんか。
わかってる。
どんなふうであれ、形にしたほうが、
やらないよりは良いんだって。
でもね、ごめんね、やれないよ。私。
やろうとはしてみたけどね、
やれないんだよ。
こんなにずっとずっとずっとずーーーっと
24時間急かされ続けてもなお、
ごめんね、やれないんだ。


そっか。
やれないんだね。私。
形あるものを目的に、動くこと。
なにか目的を持って、ゴールを定めて、
それを築くために、動くこと。
それができる人にずっと憧れて、
私もやれるようになりたいって思ったけど
やれないんだね。


だからさ、同じことだよ。
動画の内容と。


生かすんだよ。
これが自分だ!って、
勇んで言えるようなことはないけど、
ああ、これが自分なんですね...って
諦めたのが今でしょう。
諦めた先で、今度は、生かすことができるんだよ。


とりあえず踏ん張る、っていうことができずに
全力疾走で逃げる自分。


新しいことを始めては、
どんどんやめる自分。


続けられないことは、
褒められたものじゃない。けど、
変えられなかったでしょ、
それと、同じだね。



私が、私である所以は、
私が弱点だと思い続けてきた、これらのことに
なっていくのかもしれないよ。



みんなが頑張っているんだから、
私も頑張れるはず、って
その心意気はいいけれど、


それが当てはまる場所と、
当てはまらない場所があるってこと、
分かっておいたほうがいいかもよ。


みんな頑張って生きてる。
だから私も生きる。


それは、
これからもきっとそう。


でも、
そのひとりひとりが違うってこと、
他でもない私自身も
みんなとは違うんだってこと、
ちゃんとわかってなかった。
考慮してなかった。


孤立、対立を深めたいわけじゃなくて、
人それぞれに持って生まれたものがあるってこと、
当たり前のはずなのに
こと自分のことに関しては
持って生まれたもの、否定してきた。


だって、反対に言えば、
私は細かい作業が得意だからって、
それができない人にも、頑張ればできるんだから諦めるな、って言うことと同じじゃない?


そんなの、頑張らなくていいよ。
私がやるから。
あなたの分も、私がやるから。
その間、あなたの得意なことのほうに
時間をつかってちょうだい。



おんなじことが、世界規模で、起こっているだけなんでしょう。そこに私も含まれている。



私には、
できないことがある。


私には、できないことがあったよ。


そっか。
今まで、
全部、できるようにならなきゃって、
思ってたんだね。


できないことが、いっぱいあったよ。
全部やって、無敵になりたかった。
でも、無理だったみたい。
無敵にはなれなかった。
取りこぼしたような、
もっともっといっぱい持ちたかったけど、
持てなかったような、
そんな気分。


でもそこに、安心している。


こんなに安心する欠落って、あるだろうか。


生かすんだって。
この、できなかったこと。
ずっと責めてきた弱点。
諦めて降参するだけじゃなくて、
生かすことまでできるらしいよ。


眠たいから、それはまたあとで。


おやすみなさい。











長所

 

 

 

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どすっぴんだけど、フィルムカメラで撮ると、なぜかなんでもいい雰囲気に仕上がる。

 

 
 
 
 
看護師のお仕事のために、久しぶりに履歴書を書いた。職歴が、あふれてあふれて大変なことになった。2〜3ヶ月で辞めている仕事がたくさんあるから、しかたない。でも先生はそれを見て、「あれ、ここは2ヶ月なんですね」「あれ、ここは1ヶ月なんですね」と言っては、笑った。おもしろいですね、と言って笑った。仕事を長く続けられないことは、自分にとっては精一杯だったとはいえ、社会的にはマイナスの評価になると思っていたけれど、おもしろいね、と言ってもらえる世界もあったんだと知った。パカっと殻がめくれた感じがした。
 
 


 
夜の蝶は、1日(実質3日)で卒業してしまった。周りの人にも、銀座で働いてくる!!と散々言い広めて、心配と応援をたくさんされながら送り出してもらったのだけど、前日になって「あれ、すごく行きたくないぞ」と暗雲が立ち込めはじめて、いざ当日の直前に、「ごめんなさい行けません」と電話して、やると決めたことをやらないのはよくないよとお叱りを受けて、夜の仕事卒業の象徴として、1年以上伸ばした前髪を眉上までばっさり切って、終わった。
 
 

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人生史上最短の前髪で、妹と傷心散歩。






 
胸に鉛が残っている。なにがおかしかったのか。徹底取材しましょう。
 
 

 
私のここが間違っていましたごめんなさい、と天に向かって謝ってすっきりしたいわけではない。こういう性格だから仕方なく起こったんだ、と正当化するのでもない。油断するとそのどっちかに行きそうだけど、それは違う気がする。そのどっちかに行くと、私の今後の人間性が歪む予感がする。気をつけながら、起こったことを掘り下げてみる。
 
 
 

初めて働いた日は、目新しいことばかりでワクワクした。
真っ白のワンピースを纏い、
真っ赤な口紅でテンションが上がり、
ライターが点けられなくて
スタッフ総動員でレッスンしていただき、
初めて成功した時には思わず
バーテンダーとこっそりガッツポーズし、
美味しいシャンパンをいただき、
ケーキまでご馳走になり、
ママさんたちの楽しい会話に圧倒され、
会話の内容に全然ついていけない割に
気配りだけはよくできたみたいで
今日が初めてだと言ったらすごく驚かれ、
あっちの席とこっちの席で
違う名前を名乗ってしまって混乱し、
お金を貰って帰り、
翌日ドレスを返すためだけにまた出向いたので
お昼の仕事よりも手取りは少ないけれど
プラスはプラスだからと喜び、
昼と夜の銀座の空気の違いにびっくらこいて、
1日目はワクワクした気分で終了した。
 
 

 
だから、その日の“テスト”を経て、採用が決まったときはとっても嬉しかった。
 

 
のに。
 

 
前日になって急に、「どうしよう、行きたくない...!」と、一緒にいた人の前で口走るようになった。でも、行くしかないのだからと深く考えないようにした。そう。第一の失敗は、ここにあった。いや、一にも二にも、ここにあった。このときの「行きたくない」という心の叫びを掘り下げなかったこと...!
 

 
全然違う話をしていたのに、文脈を遮ってまで「やだ、行きたくない...」と口走っていた記憶がある。でもこのときはまだ、「銀座で働けることが楽しみ」っていう気持ちもあったから、フタをしてしまった。
 

 
だけど、ほんとに楽しみだったんだろうか...?今考えると、「そう思おうとしていた」ことがよく分かる。うわぁ。とーってもよく分かる。
 

 
完全に、この前夜が、運命の別れ道だった...!!
 

 
あの、少しの違和感。あの、少しの自分に対しての強がり。いつも、ないがしろにしてしまうもの。腫れ物に触れるみたいに、触れた瞬間、手をひっこめる。
 
 

あの感覚は、今までにも何度も経験している。そしてあのタイプの違和感は、のちのち重篤にならなかったことが、一度もない。
 
 

 
色々考えたけど、結論はない。当日土壇場でキャンセルして迷惑をかけたことで自分を責めて、かといって「ああすればよかった」「こうすればよかった」と案を出しても過去には戻れないし、かといって「これからは絶対にこうするんだ」と決められるほど、起こる出来事は単純じゃない。過去にも未来にも結論が出せない。
 
 

 
なにが、こんなに悲しいんだろう。
 
 

 
あんなに「やる!」と意気込んだことを、やれない自分が悲しい。今回に限ったことじゃないもの。それで落ち込むぐらいなら、昨日、約束どおり行けばよかったじゃない。精神がズタボロになってでも体調を崩してでも行けばよかったじゃない。でもそれを選ばなかった。それを選ばない自分に、自分である所以がきっとある。なのに、「それを選ばなかった自分」に胸を張れないことが、悲しいんだ。そっか。
 

 
そりゃあ、胸なんて張れたもんじゃないよ...。当日いきなりキャンセルだなんて、迷惑極まりない。
 

 
たしかに胸は張れないかもしれないけど…。諦めることなら、できるのかな。
 

 
胸は張れなくても。そう在ることしかできなかったよなと、諦めることならできる。そうじゃない自分になろうともがくことを、やめることならできる。
 
 

そしたら今度は、そういう自分を活かそう、なんてふうに思えてくる。活かせる場所に身を置こう、と。
 
 


 
んまあ。こんなポジティブな言葉が自分から出てくるとは。すごい進歩だわね。
 
 


 
自分の特徴を、活かせる場所に身を置く、か。
 
 

 
今回の出来事では短所として働いたけれど、長所として活かせるところがあるとしたら。
 
 

 
新しい道に切り込んでいくところ。
1を知って10を予想できるところ。
(仕事内容とかじゃなく、空気感の面で)
自分の聖なる区域に危険が及んだら、
手段を選ばずに守りに入るところ。
 
 

 
多分、すごく良いんだよ。きっと、すごく良いんだよ。私という人間は。自分が短所だと思い続けているから、短所として現れるんだ。きっとすごく長所なんだよ。自分で、本気でそう思ってごらんよ。誰かに言ってもらおうとしてる場合じゃないんだよ。本気で褒めてごらんよ。自分で。
 
 

 
よし、動画を、撮ろう。動画をとりましょう。ここ最近、喋るのは苦手なのに何かを喋りたくてしかたがなかった。それを始めるのは、今日寝る前までがタイムリミットな気がする。今日やらなかったらまずい。そろそろまずい。ちょうどいいテーマの真っ只中にいるから、どうなるかわからないけど、しゃべってみよう。というわけで、それでは。いつものぞいてくれてありがとう。
 
 
 
 
 

踊るためなら




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haruka-ruka.hatenablog.jp

 

 

 

血液検査の結果をみてもらいにいったら、華麗なる栄養失調だった。とまあ、そんなことはわかりきっていたことだ。私は、栄養失調の私が好きだったよ。必死に生きたもの。訳もわからず体当たりして、ぶつかって倒れて、突っ伏して意気消沈して、意気込んでいきなり走ってやっぱり倒れて、右往左往して生きてきた私のこと、好きだよ。

 

 

でもこっからは話は違うぜ。素晴らしい師に出逢ったのだ。舞台は整ったのだ。もう、「わかんない」とは言わせないぜ。

 

 

一通り、迷子は楽しんだなと思う。精神ストレスで甘いものを異常に爆食いしてしまうのを辞めたり辞めなかったりとか、本当は料理は苦手で好きじゃないって嘆いたりとか、自分の食欲を卑しいと思ってしまうとか、お金がないから食料にお金をかけられないとか、痩せすぎだけど肉付きがよくなることへの恐怖があるとか、いろいろいろいろ、身体にまつわる悩み事は、一通り思い切り味わったから、未練はないと思う。もうちょっと悩ませて、とかは、今のところない。またいつかあると思うけど、今は、覚悟を決めて、師についていく時だと感じる。

 

 

なんで栄養失調を抜け出したいの?なんで「元気に」なりたいの?

 

 

また、いろんな次元の私がそれぞれに答えを出すけれど…。

 

 

“たくさんの人に、踊りで関わるため。”

 

 

今日の答えは、これ。

 

 

踊るために、身体を動かしたい。だから、元気になりたい。


 

 

そのためだったら、苦手な料理も、苦手な数値で管理するノルマも、頑張れる。今日言われたことを、まとめてみる。

 

 

タンパク質食べる

 

 

先生もびっくり!血中タンパク質少なすぎ!ちゃんと食べてくださいタンパク質!「これじゃあ動いたらすぐ疲れちゃうよ。」

 

 

年齢・体重的に、一日45g食べる。

 

 

卵1個・・・6g

納豆1パック・・・6g

木綿豆腐1丁・・・25g

魚、大豆、枝豆etc...

 

 

うわお。なかなかハードだぜ。

 

 

ビタミンB郡とる

 

 

肝臓が弱ってる。お酒飲まないんだけどな。。。

 

 

ビタミンB郡とる。納豆なら、一日1800パック。え!

 

 

集中的な治療として、医療用のビタミン剤飲んだ方がいいと。一生飲む訳じゃない。治ったら、卒業できる。

 

 

それに今後仕事でお酒飲むようになるから、肝臓守るためにやっぱりビタミン剤は必須だ。ちなみに夜のお仕事を始めることを師に話したら、大賛成してくれた。びっくり。体調のことだけ見たら、お酒は飲むわ夜は遅いわで反対されるかと思ったけれど、人生の全部をひっくるめて応援してくれて嬉しかった。社会勉強になるから、どんどん吸収しておいでって。一流の人たちからたくさん学んでおいでって。世間知らなさすぎのお子ちゃまが夜に紛れてどうなることやらだけど、楽しみだし、あたし、がんばる。

 

 

尿酸値低すぎ

 

 

抗酸化してくれる存在だから、尿酸少ないってことは、免疫力が低下してるってこと(?)。

 

 

このへん難しくて覚えられなかった…。

 

 

免疫力上げる=抗体(免疫グロブリン)作るためにも、やっぱりタンパク質とる。

 

 

亜鉛、鉄もとる

 

 

どうやって摂っていくのかは、今後、確認。

 

 

✳︎

 

 

いやあ。勉強するだけなら楽しくて大好きな話だけど、実際にそれをバランスよく食べるってなると、窮屈に感じてしまってあまり気にしてこなかった分野だ。

 

 

でも、今の私は一味違うのよ。

 

 

踊るためだったら、やってみせるわ。

 

 

 

 

 

 

出逢い

 

 

 

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昨日突然、看護師の仕事が舞い込んだ。3年ぐらい働いていたことを何の気なく話したら、「あなたにやってほしいことがあるのだけれど」と誘われた。2年もブランクがあるし、本業として長い時間は働けないし...っていうたいていは不採用極まりない現状なのだけど、大丈夫だって。これまでのこととか、今踊っていることとか話した上で、あなただからこそ来てほしいと言ってくれた。

 

 

 

わあ、これだ、こういうのがしたかったんだ...!と、帰ってから思った。まだ決まったわけじゃないけれど、ネット上で条件を絞って絞って見つけるお仕事じゃなくて、人と人の会話の中で、生まれるお仕事。そうやって生きていきたいな、でも私にはそんな人脈もないしとても無理だな、と、夢のまた夢だと思っていたのだけれど、私の身にも起こった。......嬉しすぎる。でも、これまでだって望んでいたのに、今、そういう動きが生まれているのは、なんでだろう。

 

 

 

うーん...分からない。せっかく今までと何かが決定的に違うのだから、理由が分かれば、これから生きていく知恵になると思うのだけど。分からない。

 

 

 

地を這いずり回るような日々を過ごしたのち突然、思い立って行動を起こす、っていう大枠は、今までと変わらない。それなら、内面が変わったっていうことだろうか。

 

 

そうだ。ひとつ分かることは、「嫌だ」という感覚への信頼感が増して、ファーストタッチで逃げるようになったのは、今までと全然違うかもしれない。

 

 

今、出逢いがグングンと繋がっていくような、とても良い流れの中にいるのを感じるのだけれど、ここに至る前に、嫌な感覚にもたくさん出逢った。我慢しようと思えば我慢できるし、学べることはたくさんあるから大丈夫、と言い聞かせられようなレベルの、絶妙に大きすぎず小さすぎない、違和感。そういうのは、受け入れていた。だけど何度もそれしてきた結果、あとから必ず取り返しつかないほど爆発する、ということが分かったから、今は「嫌だ」と思った絶妙なサイズの違和感をちゃんと重要視して、人生の選択肢に入れないようになってきている途中。「嫌だ」の中には、私も、あなたも、本当はもっと美しいんだよ、という願いがある。

 

 

「嫌」のセンサーが、鋭敏になった。わぁ。これは、すごく重要かもしれない。逆に、今まで私はこのレベルの違和感を受け入れていたのか、というふうに考えると、恐ろしい。それぐらい、今考えたらダメージの大きいものを、受け入れていた。世界はそのままで美しいという一面もあるけれど、「その歪みはそのままにしておかない方がいい」というような、もっと美しくなっていけるという一面もあると思う。その歪みの中に、身を置いていたのが今までだったのだと思う。

 

 

 

そうだ、もうひとつ違うのは、「いい加減、無意識に垂れ流しているネガティブをおしまいにしよう」としているところ。無意識に垂れ流しているネガティブな感情、悲しみ、諦め、否定、自嘲、文句、は、過去の産物であって、今じゃない。それを知ってしまったからには、垂れ流し続ける私は、可哀想というよりは、みっともないと思うようになった。ブーブー言っててみっともない。認めるのは辛いけど、そう観念して、肯定的な響きのあるものを意識的に聴くようになった。目に見えない99%の世界の方を信じる。岡本太郎の言葉とかは、最高に嬉しい。人間ってなんっっっっっっって素晴らしいんだろうと思わせてくれる。触れるものはなんだっていい。良いことしか言ってくれないタロットカードの動画とか、金運が上がるという妹からは胡散臭がられる音楽とか、古代エジプト民族音楽とか、キムタクの娘、kokiちゃんの表情とか、家の裏の巨木、愛称ファザーツリーに抱きつくとか、Lady Gagaの声を聴くとか、とにかくなんだっていいから、肯定的な響きの力を、貰い続ける。自分のなかからは、湧き上がってこないよ。ぜんぜん。放っておいても湧き上がるのは、負の感情。悲しみ。無力感。それでもいいんだとりあえず。自分だけで塗り替えられないから、自分じゃなくて、目に見えない99%の世界の方を、信じる。

 

 

あ!あとあと、実家の空き家を整理し始めたのもよかったのかもしれない。もしかしたらだけど。数日前に久しぶりに訪れたら、空き家は荒れまくっていた。そこに住んでいたときの私が、今もそこにいて、埃をかぶって、成仏してもらえるのを待っているかのようだった。そこにメスを入れ始めたことで、運気が上がるのは間違いないと、あのとき思った。成仏させること、風穴を開けることは、後回しにしてしまうけれど、しっかりと自分に付いてまわっていたのだと思った。

 

 

 

それにしても、看護師として働けたらすごく嬉しい。もう絶対、二度とやらないと思っていたのに、いざその可能性が出てきた今、ものすごく嬉しい。なんだかんだ免許を捨てずに持っていたから、実はやりたかったのかもしれない。新しい自分を発見した。なにが嬉しいんだろう。勉強をして働く、というのが嬉しい。看護師をしたら、必然的に勉強の日々になる。それが、なぜか嬉しい。誰かの役に立つために、自分の知識を蓄えて、それを責任感とともに役割を全うさせてもらえる、っていう背筋の伸びる感覚が、なんていう種類の喜びなのか分からないけど、なぜかとても嬉しい。

 

 

 

昨日のその出逢いは、通い始めた病院からの紹介で出逢った、ダンサーさんを特に診察していらっしゃる女性。その方からの学びを、すごい個人的なメモになってしまうけれど、忘れないように残しておきたい。ただ、これは、完全に私の体質の場合の話なので、ほんとに人それぞれの体質によるはずなので、お話程度に読んでもらえたらと思います。

 

 

 

生理痛について

 

 

 

大学生ごろから痛みが生じた

 

→踊り始めた時期と重なっているということは、踊りで足の裏を地面に何度も打ちつけることで、血液中の赤血球が壊れて、結果、鉄不足になっている。

 

→タンパク質、鉄、ビタミンを、治療レベルで本気で摂らないと治らない。でもちゃんと治るから安心して。だいたいそういう人って胃腸も弱いから(私はそれがアトピーにも繋がっている)、食べ物から栄養を吸収するのが苦手。少しずつ栄養が蓄積されていくので、半年ぐらいかかるかな。鉄分とかは点滴で取れば、もっと早い。

 

 

「気」について

 

 

→気力が弱っていることを伝えて、オーリングテストをした結果、病名がつくほど「気」とか「エネルギー」が低下していた。魂が抜けてるような感じ。

 

 

→また別のオーリングテストで、身体に「絶望」が沈澱していることが分かった。詳細は省くけれど、それを理解して共に生きていくようになったときに、運が一気に開けていくよと言ってもらえた。

 

 

→オレンジのオイル。

 

 

→また別のオーリングテストでは、心臓、ハート、喉のあたりが弱っていた。心当たりはあったので、驚きはしなかった。

 

 

鍼灸

 

 

あとは、全身の気が流れるツボに、鍼とお灸をしていただいて、歪みまくっていた関節も整えてもらって、などなどして、終わって立ち上がったら、身体が重くなっていた。だるいのではなく、体重が増した感じだった。今までは地に足がつかずふわふわ浮いていたようなものだったらしく、抜けていた魂やエネルギーが身体に戻ったので、足の裏にちゃんと体重を感じるようになった、ということだった。

 

 

 

✳︎

 

 

 

ということで、始めに通い始めた先生と、ダンサーの診察に長けていらっしゃる先生と、お二人の師のお導きのもとで、身体、ひいては人生を整えていきたいと思う。「治す」「頑張る」「健康を作り上げる」のではなく、「本来の自然な姿に戻る」ために。

 

 

本来の軸が、スクッと空に向かって伸びるものだとしたら、今の私の軸は、シナシナによれて、項垂れているというのを感じる。色んなところで、歪んで、曲がって、上塗りしたりして。そのままで生き抜いてきたことも、美しいと思う。傷ついても、傷ついたままでも、それでも生きてきた、生きている、私たち全員を、美しいと思う。

 

 

 

でも、私の場合は、その全体像が分かってきたのに、傷ついたままで憧れてばかりの自分でいることを、美しくないと思う。知ってしまった今、このままで生きていくことは、美しくないと思う。今のままで生きていくことを、かっこ悪いと思う。血液のよどみも、身体の冷えも、イケてないお洒落も、お金の回らなさも、全部歪みからきている気がして、それを放っておくのは、かっこ悪いと思う。もちろん、苦しんできた自分を本当に労いたいし、美しいと思うけれど、全体をなんとなく知った今、もしそのままで生きていくとしたら、かっこ悪いと思う。表面的な要素だけ見たら、やることは莫大に感じるけれど、たぶん、やることはひとつ。「本来の自然な姿に戻る」。

 

 

 

ま、戻らなくっても、いいんだけどね。

 

 

 

なんで戻りたいんだろうね。

 

 

 

なんで戻りたいんだろう?

 

 

 

……いろんな次元の私で、その問いに対する答えってたくさん出てくるけれど。

 

 

 

一番、静かなところにいる声に耳を澄ます。

 

 

 

“いつか、死んじゃうもんね。

さよならがくるその前。

手を離すその前。

いま、ここに命があるものね。

これ以上ないぐらい、この命を讃えようって思ったら、

そうせざるを得ないのかもね。”

 

 

 

 

 

 

困難




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昨夜書いた文章なので、時系列を不思議に感じるかもしれません。夜、1日を振り返りながら書いたものです。気まぐれな投稿をいつも見てくださってありがとうございます。今日も、ひたすらに自分の世界にこもって書いた文です。私の頭の中の、リアルなテンションをお楽しみください。



✴︎



闘いの日々を送っている。生きることはどうしてこんなに大変なのだろう。魂の成長?それは、どうしても逃れられないもの?ずっと、このまま部屋でグータラしていたいよ。それでも本能が成長したがるから逃げられないよ。逃げられたら、どんなに楽だろう。そんなことを、日々、というか、今、思っている。




やりたいことがあって、やるか、やらないか。そうなったとき、「やらない」を選ぶ日々。やらなくても、今が、楽だから。それでいいと思いたい。そうやって、最初に見た光を見なかったことにするような、もしくはあれは光ではなかった、勘違いだったと言い聞かせるような、そんな日々。




そんな中昨日、絶対に諦めるな、と言われた。いまの私には、遠ざかりつつある概念だった。私には無理だ、と思ったときの無力感は、自分ではとても覆せないほどの威力があって、溺れつつあった。だけどかろうじて、「諦めるな」という言葉にしがみつき、体を動かすことはできなくても、指と目は動かすことができ、文章を読んでいた。そしたら今度は、「困難は、一時は逃れたとしても、また別の形でやってくる」という言葉に出逢った。つまり、向き合わない限り、同じ困難は、形を変え、手を変え品を変え、何度でもやってくる。ああ、まさに、今の私だなと思った。一時の「楽さ」をとって、困難から逃れようとしている。なんとか逃れられないかと、言い訳を作ったりする。「わざわざ真っ向勝負しなくても私は乗り越えられる」と。でもそんなうまい話はない。私がいま逃げようとしている困難は、向き合わない限り一生ついて回るタイプの課題だ。そう観念して、新しい世界へ飛び込むべく、家を飛び出した。先の先のことは一旦置いておいて、今日、飛び込むことだけに集中して。「よく家を出たよ。えらいよ私。」そう言って今日を振り返られる今があって、ほんとにギリギリセーフでいい一日だったなと、胸を撫で下ろしている。




土俵はなんだっていいから、一旦、一人前になってみること、なのかな。手っ取り早く自分の存在に自信を持つには。一人前にならないと持てない自信なんて嘘かもしれないけれど、一人前になったことのない私がその考えを採用しても、ただの負け犬の遠吠えのような気がする。





色々考えの定まらない変化の過渡期にいるけれど、ひとつだけ決めたことがある。身体を健康にすること。私はいま、人生史上の中でワーストに入るぐらい、体力気力ともに落ちている時期なのを感じる。落ちているというよりは、これまでのシワ寄せをくらっているのかもしれない。そんな最近、ハッとしたことがある。それは、「私あのとき、傷だらけの姿に強烈に惹かれたんだ」ということ。




というのは、私は2017年、新潟の山奥での音楽フェスで、Coccoに出逢ったのが事の発端だった。名前も知らずに通りかかったのに、歌うその姿は強烈で、取り憑かれたように目が離せなかった。それからしばらくは、ひたすら彼女の歌声と映像に触れ続けた。それで、最近ハッとしたというのが、Coccoの痛々しい身体、とりわけ全く食べていなかった頃の身体を、強烈に美しいと思い、その衝撃がそのまま、“健やかになることへの抵抗”として私の意識の奥深くに根付いたんだった、ということ。そうだ、私はあのとき、Coccoの身体に惹かれたんだ。それがそのまま、憧れとして鮮明にインプットされたんだ。そういうことに、この頃ハッ!と気づいた。




私はたしかに、元来、身体は丈夫じゃない。だけどそこへ更に、「他の誰かへの憧れ」として満ち足りることを拒んでいた自分がいた。そういう憧れを持っていることは認識していたけど、“あの時期を境に” “セルフイメージがガラリと変わった”ことに気づいたのは、新発見だった。Coccoの美しさはCoccoの美しさとして讃えて、私は私の正位置を知らなければならないと思った。また別の人のイメージをインプットしても、おかしなことになる。私の身体の、弱さ、壊れやすさ、強さ、しなやかさ、美しさを、自分に聞きながら、知りたいと思った。




というわけでいまから集中したいことは、病院へ通うために、お金を稼ぐこと。いま、病院へすでに通い始めているのだけど、引っ張り上げてくれる人がいると、もっと真っ直ぐに、もっと力強く歩けるなと感じている。最初に訪れた病院のご縁で、ダンサーさんをたくさんみていて、身体の症状だけでなく心の在り方も含めて整えていくことに長けていらっしゃる方に出逢えたので、その方にお導きを願いたいと思う。そのために、働こうと思う。その働き先が、さっき「この困難からは逃れられない」と言いながら飛び込んだ、新しい世界。いい感じに補完し合っている。辛くなったら、思い出そう。